This is your home

家でゴロゴロするなら、一人暮らしの自宅より、実家でゴロゴロしている方がなんとなく有意義な気がするのは僕だけだろうか。


帰国して数日経ち、やはり旅先の景色がぼんやりと浮かんでくる。ナガールの伝統的でのどかな暮らし、ラホールの喧騒と狭い路地の生活感、スリランカの鉄道で浴びる風。そして幻想的な風景のフンザ
フンザでは今ごろ秋が深まっているだろうか。紅葉の進んだフンザは、金色、赤色、ピンクと様々な色に染まると聞いた。その情景をあたかも自分の目で見たかのようにはっきりと想像した。

そしてそれと同時に、旅行中に会話した人達の「言葉」がいくつか思い出される。
中でも特に記憶に残っているのが、タイトルにもある「This is your home」、優しいミルクティーおじさん(第4章など度々登場)の言葉だ。
彼は、僕がフンザ滞在中に何度か利用した飲食店のシェフだが、最終日に訪問した際、彼がそう言って店内に招き入れてくれた。
なんとなく、宿をhomeのように思うことはあっても、飲食店をそう思うことは少ない。ただ僕にはその表現がすごくしっくりきた。それだけあの店の居心地が良かった。
僕が訪れた際は品数がだいぶ限られていた。(このブログを見て行こうと思われた方はそこにご理解いただきたい)
が、なんとなくそこに居ることに一種の価値を見出すようになっていた。実家のように。
homeとはそういうものかもしれない。


そんな深い事をさらっと言えるミルクティーおじさんのセンスに嫉妬してしまうが、僕も粋な言葉を考えてみた。

「人生は家探しである」
うん、なんかしっくりこない。


粋な言葉と言えば、奥の細道の序文も好きだ。
「舟の上に生涯をうかべ、(略)、日々旅にして、旅をすみかとす。」
なるほど、旅自体がhomeだと。

第14章 最終日

朝5時にアザーンが聞こえてきた。スリランカは仏教のイメージしかなかったので、これが夢か現実かすぐには判断が付かなかった。
アザーンが止んでまた浅い眠りに落ち、変な夢を見た。


朝9時に目覚め、近所のカフェで朝食を取った。そしてふと、今朝のアザーンのことを思い出した。
調べたところ、スリランカ仏教徒が大多数であることに違いはないが、イスラム教徒、ヒンドゥー教徒キリスト教徒が一定数いて共存しているらしい。
スリランカ人との会話でいくつかの話題を交わすと、よく僕の信仰を聞かれた。それほどこの国では「信仰」というものが意識に根差しているのだろうか。
話ついでにスリランカ人について目に付いたことを書くと、彼らは同意や了解の合図に首をかしげるように3,4回振る。インドやパキスタン東部でも同様だったが、スリランカでは特にこの仕草をよく目にする。ニコリと笑いながら首を振る仕草を見ると思わずほっこりしてしまう。
あの仕草を真似ようと宿の鏡を見ながら練習してみたが、なかなか上手くできなかった。


キャンディは日差しが強く、白い壁を基調とした街並が陽に照らされてギラギラとしている。歩くだけで眩しい。が、その街の眩しさに負けず、現地の女性達が着ている真っ白なワンピースのような民族衣装が目に飛び込んでくる。その白い世界の中に、キャンディの人々の褐色の肌がよく映えて美しい。

街の中心部には大きな湖がある。夕方になるとどこからともなく無数の鳥が集まり、けたたましい鳴き声を上げる。その鳴き声の束は決して美しい音色ではなく、サイレンのような不安感を煽るものだ。湖は夕陽で赤く染まって、世紀末のような感覚になった。
日が完全に暮れるとそれまでの騒々しさが嘘のようにシンと静まり、不思議な安堵感を覚え、それが眠気に変わった。
昼間の日差しで疲労感もあったので、僕は宿に帰って寝た。


そんなこんなで翌日に首都コロンボに戻り、最終日を迎えた。
最終日は特に出かけず、荷物を軽くするため、微妙に残った本を読み終えて宿に捨て、空港へと向かった。

空港で残りのスリランカルピーを米ドルに変えようとしたが、窓口のおじさんから「両替しても7ドルにしかならないから、その辺で飯でも食べた方がいい」と言われたので、彼の言うことに従った。
深夜の空港で、腹がはちきれるほど飯を食べ、寝過ごさないよう睡魔と戦いながら帰りの便の搭乗を待った。


スリランカはあっさりした記録になるが、実は6日間滞在している。刺激を求めると物足りないが、紅茶もカレーも美味しいし割と気に入っている。ただ10月とは言えスリランカは暑かった。僕は極度の汗っかきなので、どれだけ紅茶を飲んでも水分補給が追いつかない。

これにて僕の旅行記も一旦終わりとなる。
14章に渡ってくどくど書いてきた割には雑な締めくくりだが、何はともあれ帰国して、日本のベストシーズンである短い秋を楽しむこととしよう。




キャンディのローカルな市場。南国の果物がずらりと並んで目にも鮮やか。青果店からはほんのり甘い香りが漂い、虫のように近寄ってしまった。

第13章 2等車

深夜に、スリランカの首都コロンボに着いた。空港のロビーはとても近代的で明るく、ATMや両替屋、通信業者のカウンターがあり(あるのが一般的だと思うが、パキスタンは首都の空港にも無かった)、別世界から戻ってきた気がした。

僕はトゥクトゥクに1時間乗り、空港から市内の宿に向かった。そもそも、トゥクトゥクなんて1時間も乗るものではないと思うが、開放的なトゥクトゥクで久しぶりに綺麗な空気を吸うことができ(パキスタンは空気が悪かった)、塩水に戻されたアサリのように悪い物を吐ききった気分がした。
宿に着き、泥のように眠った。

翌日正午に目が覚め、疲れが抜けていないのを感じた。整った街並みに安心し、旅の疲れが出たのかもしれない。この日は特に何もしなかった。


その翌朝は元気になっていた。スリランカ中央部の街キャンディに向かうため、コロンボの鉄道駅に行った。
プラットホームを繋ぐ歩道橋から駅を見下ろすと、駅には複数の列車が停まっていた。どれもずらりと長く、端が見えない。ホームは現地の人達や欧米人旅行者が忙しく行き交っている。

列車は定刻に動き出し、首都の都会的な雰囲気から、すぐに椰子の木が生い茂る熱帯雨林へと入った。
それから列車はスピードを上げ、下手の運転するマニュアル車ぐらい前後にガタガタ揺れたり、打ち付けるように横に揺れたりしながら進んで行った。
僕は窓を開けて上体を乗り出し、大きなバナナの葉が顔をかすめるのをよけながら外の景色を見ていた。
田畑では、中年男性が上半身裸で腰にカラフルな布を巻いて(民族衣装だ)、農作業している。農村地帯に点在するトタン屋根のバラック小屋には、洗濯物が干してあり生活感がある。
そして列車はいくつもの茶色い大きな河やを渡りトンネルを抜け、徐々に高地へと登っていく。

窓から列車前方を見ていると、列車のドアから身を外に晒している人が見えた。僕もあれをやらねばならない。大きな横揺れに耐えながら連結部に着くと、開放されたドアの前には、スリランカ人のおじさんが偉人の銅像のように立っていた。彼はすぐ僕の存在に気付き、場所を譲ってくれた。僕は彼の偉人のような立ち姿を真似てドアから身を乗り出した。
立って眺める車窓は、座って見るよりずっと開放的だった。外の景色は、山の中腹から谷間を見下ろすような形で、熱帯雨林に抱かれた盆地に水田が広がっているのが見えた。トンネルに入ると、湧き水で濡れた岩の壁が僕の体すれすれを勢いよく通過し、トンネルが終わるとまたバナナの大きな葉が目の前をかすめる。
列車は山に沿って蛇行している。僕は右側ドアに立っているので、右カーブの際は列車の横腹がたくましい曲線を描いて見え、熱帯雨林を切り進む勇姿を見た。

3時間の乗車時間はあっという間に過ぎ、列車は終点のキャンディに到着した。

それにしても、鉄道での移動は旅情があって好きだ。昼間に車窓を眺めるのも一興、夜間に車輪の音を聴きながらひたすら揺られるのもまた一興。
ただ、世界の鉄道はだんだんと高速鉄道化し、日本の新幹線かユーロスターのような形のどちらかに収束しつつあるように思う。これまでの、少し不便な鉄道旅を味わい続けたいと願うのは、旅行者のエゴだろうか。


第12章 パキスタン出国

今日がパキスタン最終日となってしまった。
最終日なのにパキスタンルピーを余らせてしまっている。これは散財しなければいけないと思い、朝からシャルワールカミースを着て旧市街へと繰り出した。旧市街のあの、"アラジンと魔法のランプ"的な雰囲気がかなり気に入ってしまっている。
そもそも、物価の安い旧市街に行く時点で大した散財にならないのは分かりきっていたが、パキスタン最終日を綺麗なレストランではなく、混沌とした旧市街で過ごしたいと思った。

まずは景気付けに朝一のチャイと思い、1番初めに目に付いたチャイ屋に飛び込んだ。店内は四畳半ほどで薄暗く、壁に沿って長椅子が並んでいる。
チャイが来た。今日でパキスタンのチャイは一旦最後と思うと、この1杯はすごく貴重なものに感じた。素朴な店主の仕事姿を見ながら、暑い朝に、熱々のチャイをゆっくり冷まして飲む。この贅沢は高級レストランでは味わえないだろう。
店内の他の客から、彼が食べているナンを分けてもらい、一緒にちぎって食べた。計らずも立派なモーニングとなった。
飲み終わって支払いをしようとすると、彼は奢りだと、金を受け取らないと言った。ルピーは余っているし、払いたかった。でもそれ以上に素朴な店主から奢ってもらう1杯を、パキスタン最後の思い出にしたく、甘えることにした。
その後も街をぶらついていると、露店のスープ屋から味見していくよう促され、美味しいと伝えると矢継ぎ早に注がれ、結局5杯も”味見”させてもらったり。と、最後の最後まで人情に触れた。

結局、僕の散財は失敗した。
残ったルピーは、彼らのホスピタリティの分と思い、ルピーのまま日本に持って帰ることにした。


それにしてもこの旧市街は特に、昔ながらの暮らしぶりが色濃く残っていて飽きない。人と人とが直接コミュニケーションを取って商売、つまりは生活を組み立てている。それを見て、いつの間にか便利になりすぎた生活が、少しだけ均一的で無味乾燥としているものに思えてしまった。
パキスタン、おもしろい国だったなぁ。
日本は伝統的な生活様式を、明治維新と高度経済成長で捨ててしまったが、僕が見たパキスタンは、それぞれの集団の伝統が色濃く継承されているように見えた。ラホール旧市街やフンザのナガールで特に。

そんなことを考えながらラホール旧市街を歩いたが、物思いにふけっていると側溝に足を踏み外しそうなので、程々にして雑多な街並みを楽しんだ。
住民の彼らから見れば僕は明らかに観光客に見えるだろうが、僕の視点では彼らに溶け込み、映画のエキストラでも演じている気分で旧市街を闊歩した。


いい時間になったので宿に戻り、シャルワールカミースを脱ぎ旅装に着替え、急いで荷造りした。
ラホールの小さな空港に着くと、急に現代にタイムスリップしたというか、映画館で映画を見終わって照明が付き「さあ帰るか」みたいな気分になった。旅の余韻に浸りたかったところだが、図らずも気持ちが切り替わった。


何はともあれ、この旅はまだ少しだけ続く。


第11章 1日ジャニーズ

昨日、シャルワールカミースを仕立てた。今朝はそれを取りに行き、一旦宿に戻り、早速着てラホールフォートに向かった。
嘘みたいな話だが、宿を出てすぐの道ですれ違ったおじさんから「アッサラームアレイコム」と声を掛けられた。嬉しいような恥ずかしいような妙な感情になり、苦笑いをしてしまった。
振袖を着て街を歩く新成人は、こんな気分なんだろうか。


敷地内にはいくつかの見所がある。バードシャーヒーモスクと言うやつがラホールを代表する名所で、3つの大きな玉ねぎ屋根を備える立派なモスクだ。これはタージマハルと同じムガール帝国による建築物だ。スケール感は圧倒的にタージマハルの方が大きく壮大で緻密だが、金閣寺より銀閣寺を好む僕は、全体的に茶色っぽい落ち着いた色合いのバードシャーヒーモスクもかなり気に入った。ベージュの美しい曲線をもつ玉ねぎ屋根が、ラホールのくすんだ空に控えめに映えている。
モスク内は靴を脱ぐ必要がある。僕は、シャルワールカミースに裸足という格好がとてもパキスタン的に感じ、気分が高揚した。

さて、フンザからラホールに来て、やたらと声をかけられるようになった。ハローとかニーハオとか、ワンセルフィープリーズとか。昨日も高校生ぐらいの青年達と写真を撮っていたら、周りの青年達も集まって大撮影会になり、それを遠巻きに見ていた大人から「ムービースターみたいだね」なんて茶化されたりした。

が、このラホールフォート内はその比じゃないくらい声を掛けられる。
歩いているとすぐにすれ違う人から呼び止められて握手を求められたり、子供が走ってきて写真を頼まれたりする。

僕は広い敷地に歩き疲れて木陰で休んでいると、学校行事と思しき女子学生の集団が1学年分ほどこちらに流れてきた。はじめはジロリと視線を浴びるだけだったが、1人の突破口を機に、女子学生から全方位囲まれキャーキャー言われてしまった。なんでパキスタン来たの?呪術廻戦観てる?インスタグラムのIDは?など四方八方から言葉が飛び交い困惑していたところ、先生が来て、生徒達と(なぜか)僕を叱った。やれやれ。
それ以降、女子学生の集団は避けるように動いていたが、それでも20人ぐらいの大家族から、1人1人写真を撮ってくれと頼まれ、しまいには赤子も抱いてくれと言われたりした。まったく、これじゃまるでキムタクじゃないか。

スカすのも格好悪いと思い正直に言うと、僕は完全に鼻を伸ばしていた。そのくせ、ちょっと大変だなぁなんて心の中で独り言呟いてみたりした。



バードシャーヒーモスク

第10章 混沌

ラホール。この街に長く居たら寿命が縮みそうだ。
とにかく大気汚染がひどい。全体が霞んでいて昼は青空が見えない。夜は、街明かりがモヤに乱反射してぼんやり明るく、深夜でも夜明け前と錯覚する。
フンザは風光明媚な景色から「風の谷のナウシカ」の街によく例えられるが、その落差からラホールは腐海の毒が舞う世界観にも感じた。

街並みは混沌としている。車道には車両が激しく行き交い、わずかな歩道の上には電線がツタのようにびっしり這っている。ただでさえ道が狭いのに、屋台や物売り、理髪店までもが歩道を塞いでいる。
渋滞も激しく、道路に収まりきらないバイクが歩道へと流れ込んでくる。

変なところに来てしまったなぁ。

何はともあれ、僕は旧市街へと向かった。
旧市街はさらに狭くひしめき合っている。
どうやら、エリアによって商売の種類が概ね決まっているようだ。食材を売る通りは青果や生肉や生きた鶏が並び、衣類の通りは煌びやかな衣装が道の両脇にずらりと並んでいる。
1番僕の目を引いたのは飲食店の通りだ。ナンを焼く店では男達が床下に掘られた窯にせわしく生地を張り付け、大鍋料理を振舞う店では人が集まり朝食を食べている。
僕はチャイ屋に入り、チャイを飲みながら通りを眺めた。足早に往来する人、荷物を運ぶロバ、徘徊する犬。たまに通るバイクがなければここが現代であることを忘れる。千夜一夜物語で読み描いた情景はこんな感じだった。

ラホールフォートに行きたかったが閉まっていたので、旧市街の散策を続けた。袋小路に入り込むと、決まって子供達がクリケットで遊んでいる。1組の「クリケットチーム」と仲良くなり、僕もクリケットに参加させてもらった。僕はセンスが無さすぎて笑い物にすらなっておらず、少年達は投げやりな感じで僕にバッティングもピッチングも指導した。遊んでいると近所の少年少女がさらに集まって大所帯になり、僕は更に恥を晒すことになった。
ひとしきり遊んで汗もかいたので、彼らに別れを告げた。最後に「君達の写真を撮っていいかい?」と聞くと、少年達は我も我もと集まり、年頃の少女達はさーっと捌けていき、ここが敬虔なイスラム教の街であることを再確認した。


第9章 ラホールへ

ディズニーシーの乗り物で、シンドバットが「心のコンパスに従うんだ」みたいなことを終始歌うアトラクションがある。
僕はあれが結構好きだ。待ち時間が短い割に乗っている時間が長く、歩き疲れたら僕の心のコンパスがそのアトラクションを指す。

さて、ついにフンザを離れることに決めた。次はパキスタン東部の「ラホール」に行く。
居心地の良いフンザを離れるのは心苦しく、ラホール以外にも色々な選択肢を考えたが、なんとなくラホールに向かうべきな気がして決断した。ただの気分みたいだが、「心のコンパス」と言ってもオリエンタルランドは怒らないだろうか。

フンザを離れると決めたら、なんだかソワソワしてきた。何でもそうだ。人から決められたことより、自分の決断の方が迷いが大きい。
何はともあれ僕は宿のオーナーに報告した。彼は、ラホールも良い所だからと、僕の決断を後押ししてくれた。フンザには四季があるからいつでも戻って来るように、この先の旅で困ったことがあったら連絡するようにとも言ってくれた。このオーナーのおおらかな雰囲気が居心地良く、いつの間にか8泊もしていた。

あとは「優しいミルクティーおじさん(第4章)」へも当然報告に行った。
彼は、そうか、といった反応で、それよりも僕が何が食べたいかを入念に聞き、厨房へ入って行った。フンザ最後の晩餐は、豆を煮た料理とチャパティ。食事の途中で、彼はもう家に帰るからと言い、また来年に会おうと言い残して足早に帰ってしまった。僕はもう少し感謝を伝えたかったのだが、あっさりした別れに拍子抜けしてしまった。でももしかしたら今晩行くことを事前に伝えておいたから、用事があるのに待たせてしまっていたのかもしれない。
食事が終わって店の青年に会計をしようとしたら、お代は要らないと。そんな訳ないだろと金を握らせて帰ったが、帰り道、あれはおじさんが餞別代わりに取り計らってくれたのだろうな、と思い胸が熱くなった。

馬鹿みたいな話だが、たかが旅行で街を移るだけなのに、今回は故郷を離れる決断みたいな人情劇に感じた。それだけフンザの人達は暖かかった。


翌朝、イスラマバードへと向かう乗合タクシーに乗った。車はしばらくは自分の足で歩いたことのある道を走り、フンザでの楽しかった日々が思い出され、感傷的な気持ちになった。なんとなくそれをドライバーに悟られたくなくて、サングラスをかけて車窓を眺めていた。
窓の外は、見慣れた絶景から、見慣れない絶景へとすぐに様変わりし、車窓を眺めているうちに僕の気は徐々に晴れた。

車はカラコルムハイウェイ沿いを物凄い速さで走った。
今にも崩れそうな崖の道になったり、急に開けて森林地帯になったり、街が現れては消えたりと、刻一刻と変わる景色を食いつくように見ていた。
対向車も様々で、コテコテにデコレーションしたトラック(通称デコトラ)が崖スレスレを走っていたり、乗合バンが屋根にまで乗客を乗せて走っていたりと、ヒヤヒヤする分、見ていて飽きなかった。
ヒヤヒヤするのは何も対向車だけではない。僕を乗せているドライバーも相当危なっかしい。ヘアピンカーブで毎回ちょっとスリップするし、対向車が来ているのに前方の車を追い抜く。これにはたまらずシートベルトを閉めた。
ドライバーの運転を見守りたかった(監視したかった)のと、単純に景色を楽しみたかったので眠気に抗っていたが、僕は内蔵が振動で刺激されるうちに疲れ、全身麻酔がじわじわ効いてくるように眠りに落ちた。

こうして、寝たり起きたり休憩所で休んだりを繰り返すうちに、あたりは薄暗くなってきた。
暗くなってもドライバーはスピードを落とさず、むしろギアを上げた。のろい車は凄い勢いでカチカチパッシングして退かし、放牧帰りのヤギの群れが道を埋め尽くしていたらクラクションを鳴らし続けて退かす。
きっと彼は、心のスピードメーターに従ってアクセルを踏んでいるのだろうと思ったら、僕と同類な気もしてきて、にわかに親近感が湧いた。

そんなこんなで、パキスタン首都近郊のラワルピンディには23時頃着いた。
予約していた宿にチェックインし、すぐに風呂に入って寝ようと思ったが、部屋に現れた小さいゴキブリと格闘してから夜明け前に寝た。(荒い運転より小さいゴキブリの方が怖い)

次の日は、ラワルピンディから5時間バスに乗り、やっとの思いでラホールに到着した。
フンザとラホールでは、同じ国なのにまるっきり雰囲気が異なる。詳しくは次の章で書きたいが、なにはともあれとんでもないところに来てしまった。が、不安や後悔はなく、大きな期待感をもってラホールの人混みに分け入った。




休憩所で見たデコトラ