ディズニーシーの乗り物で、シンドバットが「心のコンパスに従うんだ」みたいなことを終始歌うアトラクションがある。
僕はあれが結構好きだ。待ち時間が短い割に乗っている時間が長く、歩き疲れたら僕の心のコンパスがそのアトラクションを指す。
さて、ついにフンザを離れることに決めた。次はパキスタン東部の「ラホール」に行く。
居心地の良いフンザを離れるのは心苦しく、ラホール以外にも色々な選択肢を考えたが、なんとなくラホールに向かうべきな気がして決断した。ただの気分みたいだが、「心のコンパス」と言ってもオリエンタルランドは怒らないだろうか。
フンザを離れると決めたら、なんだかソワソワしてきた。何でもそうだ。人から決められたことより、自分の決断の方が迷いが大きい。
何はともあれ僕は宿のオーナーに報告した。彼は、ラホールも良い所だからと、僕の決断を後押ししてくれた。フンザには四季があるからいつでも戻って来るように、この先の旅で困ったことがあったら連絡するようにとも言ってくれた。このオーナーのおおらかな雰囲気が居心地良く、いつの間にか8泊もしていた。
あとは「優しいミルクティーおじさん(第4章)」へも当然報告に行った。
彼は、そうか、といった反応で、それよりも僕が何が食べたいかを入念に聞き、厨房へ入って行った。フンザ最後の晩餐は、豆を煮た料理とチャパティ。食事の途中で、彼はもう家に帰るからと言い、また来年に会おうと言い残して足早に帰ってしまった。僕はもう少し感謝を伝えたかったのだが、あっさりした別れに拍子抜けしてしまった。でももしかしたら今晩行くことを事前に伝えておいたから、用事があるのに待たせてしまっていたのかもしれない。
食事が終わって店の青年に会計をしようとしたら、お代は要らないと。そんな訳ないだろと金を握らせて帰ったが、帰り道、あれはおじさんが餞別代わりに取り計らってくれたのだろうな、と思い胸が熱くなった。
馬鹿みたいな話だが、たかが旅行で街を移るだけなのに、今回は故郷を離れる決断みたいな人情劇に感じた。それだけフンザの人達は暖かかった。
翌朝、イスラマバードへと向かう乗合タクシーに乗った。車はしばらくは自分の足で歩いたことのある道を走り、フンザでの楽しかった日々が思い出され、感傷的な気持ちになった。なんとなくそれをドライバーに悟られたくなくて、サングラスをかけて車窓を眺めていた。
窓の外は、見慣れた絶景から、見慣れない絶景へとすぐに様変わりし、車窓を眺めているうちに僕の気は徐々に晴れた。
車はカラコルムハイウェイ沿いを物凄い速さで走った。
今にも崩れそうな崖の道になったり、急に開けて森林地帯になったり、街が現れては消えたりと、刻一刻と変わる景色を食いつくように見ていた。
対向車も様々で、コテコテにデコレーションしたトラック(通称デコトラ)が崖スレスレを走っていたり、乗合バンが屋根にまで乗客を乗せて走っていたりと、ヒヤヒヤする分、見ていて飽きなかった。
ヒヤヒヤするのは何も対向車だけではない。僕を乗せているドライバーも相当危なっかしい。ヘアピンカーブで毎回ちょっとスリップするし、対向車が来ているのに前方の車を追い抜く。これにはたまらずシートベルトを閉めた。
ドライバーの運転を見守りたかった(監視したかった)のと、単純に景色を楽しみたかったので眠気に抗っていたが、僕は内蔵が振動で刺激されるうちに疲れ、全身麻酔がじわじわ効いてくるように眠りに落ちた。
こうして、寝たり起きたり休憩所で休んだりを繰り返すうちに、あたりは薄暗くなってきた。
暗くなってもドライバーはスピードを落とさず、むしろギアを上げた。のろい車は凄い勢いでカチカチパッシングして退かし、放牧帰りのヤギの群れが道を埋め尽くしていたらクラクションを鳴らし続けて退かす。
きっと彼は、心のスピードメーターに従ってアクセルを踏んでいるのだろうと思ったら、僕と同類な気もしてきて、にわかに親近感が湧いた。
そんなこんなで、パキスタン首都近郊のラワルピンディには23時頃着いた。
予約していた宿にチェックインし、すぐに風呂に入って寝ようと思ったが、部屋に現れた小さいゴキブリと格闘してから夜明け前に寝た。(荒い運転より小さいゴキブリの方が怖い)
次の日は、ラワルピンディから5時間バスに乗り、やっとの思いでラホールに到着した。
フンザとラホールでは、同じ国なのにまるっきり雰囲気が異なる。詳しくは次の章で書きたいが、なにはともあれとんでもないところに来てしまった。が、不安や後悔はなく、大きな期待感をもってラホールの人混みに分け入った。
休憩所で見たデコトラ