第8章 印象 日の入り

数日前、パスー氷河(第6章)に行く道中で伝統的な村の暮らしを見た。その光景が今でも目に焼き付いて離れない。

保守的なイスラム教の女性は写真に撮られるのを嫌うと聞いたので、村の様子を写真に残さなかった。が、あの少し現実離れした光景が、少年期の記憶のようにセピアがかってはっきりと思い出される。

あの光景をもう一度見たい。
僕は再訪することにした。僕は、こう一度気になってしまうと行動せずにはいられない体質なのだ。あの村を自分の足で歩かなければ気が済まない。

僕は早く起きて宿を出た。
谷を降りると川沿いに細い道がある。これがあの村への1本道だ。
道のすぐ傍には切り立った崖があり、時折サラサラと音を立てて崖の上から小石が落ちてくる。上を見ると、樽ぐらいの大きさの岩がいくつも剥き出しになっており、それらが落ちてこないことを切に願いながら歩いた。
川原に数組の老夫婦がしゃがみ込んでいるのを見た。目が合ったので話しかけると、砂金取りらしい。川原の砂をトレイに薄く広げると、キラキラ輝くものが見える。老夫は、胸ポケットから米粒大の金の塊を取り出し、自慢気に僕に見せてくれた。

そうこうしているうちに日差しが強くなって歩くのがしんどくなり、僕はヒッチハイクを試みた。定期的に車は通過するが、満員の車ばかりでなかなか乗せてもらえない。しばらくして2人乗りのバイクが来て、乗せてもらえることになった。初めての3人乗りだ。
150cc程のバイクに男3人が乗っているので、バイクはけたたましい音を立てながら登坂した。

足の置き場がわからないまま目的地に着いた。このあたりは「Nagar Khas」と言うらしい。僕はバイクの2人にお礼を言い別れた。
僕が降りた場所は、この一本道の中で最も栄えている。といっても雑貨店と飲食店が十数軒あるだけだが。とりあえず1番近くの食堂に入った。
その店では、チャプシュロという、餃子のタネをピザ生地で包み込んだような伝統料理を食べた。中に牛肉がゴロゴロ入っていて美味しい。食べ終わる頃には、中から漏れ出た汁で手がベトベトになった。肉や野菜の旨みが凝縮した美味い汁だったので、こぼれてしまったことがとても残念だった。

さて、僕はこの一本道を下りながら散策を始めた。先日バイクで通った際はジロリといぶかしむような視線に感じたが、歩いているとにこやかな視線で目が合う。
学校帰りの低学年ぐらいの子供達の集団と出会した。彼らは立ち止まり、黙って僕を見つめた。彼らの目は丸々として大きく、青い瞳をしていた。女の子達は制服なのかヒジャブで髪をすっぽりと覆っていたが、体に対してヒジャブが大きく見え、そのアンバランスさがいっそう愛らしく思わせた。

このあたりの集落では、農業が盛んに行われているようだった。畑では、ヴェールを頭部に巻いた女性達が農具を持って作業していた。黒い畑に、赤や青の色鮮やかな衣装。初めて見る組み合わせだが、不思議と調和していた。
少年は木の枝で牛を追いながら、ペットボトルをホッケーのように転がして遊んでいる。
人の活動や動物の鳴き声を感じながらも、不思議と美術館で西洋絵画を見ているような(ミレーが近いだろうか)気分になった。
遠くにアザーンが聞こえ、ここが西洋ではなく敬虔なシーア派の地域であることを知る。

幻想的な風景に時間感覚を失いかけていた。
暗くなると危ないので、僕は前に足早にカリマバードへ帰り、宿の屋上から日の入りを眺めた。




Nagar Khasに続く1本道

第7章 冷える雨の日

昨日はフンザの奥地「パスー」へ小旅行してきた。が、特筆すべきことが無いので割愛する。
割愛するとか言いながら少し触れると(聞いて欲しがりである)、パスーは絶景だった。のどかな農村で、遥か遠くに「パスーコーン」と呼ばれる巨大な山脈が鎮座している。それらは鋭いトゲのような山頂を連ね、巨人を拷問する剣山のようにも見えた。
パスーへの道は、岩山を切り開いた曲がりくねった道で、車の向きが変わる度にパスーコーンを左右に見ながら走った。
また道中に吊橋があり、スリリングなことで有名なので立ち寄った。吊橋は確かに怖かった。橋床がスカスカすぎて、下方に大きな河がたくましく流れているのがありありと見える。吊橋を渡っていると、足元ではなく河の方に焦点が合ってしまい、思わず足を踏み外しそうになる。
橋の中腹まで行くと、四方八方も”足元も”大変見晴らしが良く、風を受け、吊橋に上下に揺られ、非現実的な景色も相まってまるで幽体になってパスーコーンを眺めている気分になった。
吊橋の周囲は完全に観光地されていてげんなりしたが、僕は煙じゃない方の高所好きなので割と結構楽しめた。

結局、長々と書いてしまった。

今日は本格的に雨が降っているし、すごく冷える。1日どこにも出かけないことを決めた。
そういえば泊まっている宿について書いていなかった。「Ultar House」という宿のダブルルームに1人で泊まっている。快適だし、屋上からの眺めは素晴らしいし、オーナーが気さくで楽しい。昨夜オーナーと長話していた流れで、マサラチャイの作り方を教えてもらえることになった。(というより僕が図々しくお願いした)

朝、宿の食堂に行くとオーナーはスパイスを皿に用意して待っていてくれた。早速レクチャーが始まる。
まず鍋で水と牛乳を混ぜて沸かす。配分は好みだ。その脇で、クローブ、カルダモン、シナモン、黒胡椒を空炒りしておく。
スパイスの香りが立ってきたら、それらを鍋に投入、2分煮出す。
そしていよいよ茶葉を投入。1カップにつき1スプーン。
沸騰してきたら、撹拌して温度を下げつつ空気を混ぜる。オーナーは、神社の柄杓みたいなので掬っては高い位置から注ぎ戻していた。
途中でジンジャーパウダーを加えつつ、茶葉を5分煮出して完成だ。

さて、いただきます。
おいしい。冷えた体がじんわり温まる。スパイスの香りにリラックスしながら、しばし談笑して至福の朝を過ごした。

そういえばこの旅行記ではやたらとチャイとかミルクティーのことばかり書きすぎて、読者は飽き飽きしているかもしれない。が、どうか長い目で読んでいただきたい。というのも、チャイはパキスタン(や周辺国)において1つの完成された素晴らしい文化なので、どうしても旅行の思い出がチャイに紐付いてしまうのだ。
ここまで読んでくれた辛抱強い読者には、僕が習得したチャイを是非とも振る舞いたい。


日本人の感覚でいえば冬のような寒さだが、真冬に-20℃まで冷え込むフンザにとってはまだ秋の序の口らしい。が、日に日に気温が落ちていくのを感じると、この先の季節がどんな風に変わってゆくのか気になり、フンザで1年を過ごしてみたいという気が湧いてしまう。


パスーコーンと吊橋

第6章 黒い氷河

6時にアラームで目覚めた。外を見ると雨が降っていた。雨ならば仕方ないと思い、また寝た。こういう時に飛び込む布団ほど気持ち良いものはない。
次に目覚めたのは10時。雨は止んでいた。まずは朝食をと、「優しいミルクティーおじさん(第4章に登場)」の店に駆け込んだ。
彼はせわしく店を掃除していたが、僕の姿に気付き、簡単な朝の挨拶を交わした。彼は「ミルクティーとオムレツかい?」と。なぜ僕の求めている物が分かったんだろう。

紆余曲折あり今日は、近所の青年にお金を渡してバイクに乗せてもらい、「ホッパー氷河」を見に行くことになった。片道1時間ほどの行程だ。

ホッパー氷河へ続く道に入ると、ここからは自己責任ですと言わんばかりに荒々しい道になった。草木も無く、舗装もすぐに終わり、ただ砂埃の舞う砂利道に変わる。はじめこそ平坦だったが、すぐに登り坂となった。バイクは砂を巻き上げながらヘアピンカーブをいくつも通り過ぎた。

坂を登りきると、これまでの砂と日差しの乾いた世界から一変し、緑豊かな森林がもたらす湿気と日陰のひんやりした世界に様変わりした。

しばらくすると、人の姿が見え出した。木の枝で牛を追う少年や、大荷物を持ってどこかへ向かう老女。
まもなく集落にさしかかり、日陰で井戸端会議をする男たちや、赤子を抱く鮮やかなヴェールをまとった女達を見た。僕が彼らを見ると同時に、彼らも、まるで校庭に迷い込んだ犬を見るかのような目でいぶかしそうにこちらを見つめた。
強い視線に追われながら、僕達はいくつもの集落を走り抜けた。

さて、僕達はついにホッパー氷河へと着いた。氷河は周囲の岩や砂を削り取って黒々としていた。
僕と青年は氷河の「河原」へと下った。

直近に見る氷河は一見巨大な黒岩にも見えたが、それは確実に氷である。表面が溶け泥のようになり、泥は氷河の裂け目へと絶えず流れ落ちている。いわゆるクレバスだ。クレバスの底からは、水滴や小石が落下する乾いた音が絶えず聞こえ、朽ちた氷河の断末魔にも聞こえた。
無論、僕もこのクレバスに滑落したら、寒さと飢えに苦しみながら死ぬだろう。クレバスはそこに「死」の存在を意識させ、生々しく口を開けていた。

僕はクレバスに落ちないよう気を付けながら氷河を歩こうと思ったが、最初のたった数歩でスニーカーが泥だらけになったので、諦めて引き返した。

帰りは住民の鋭い視線にも慣れ、村の様子を見る余裕ができた。
真っ直ぐな一本道と、ポプラ並木。そこに点在する伝統的な暮らしと、豊かな収穫物。
木々はすでに黄色がかっている。この一帯にはまもなく冬が来て、深い雪に覆われる。




ホッパー氷河のクレバス

第5章 安息

ほとんど客のいない店を見ると、これで経営が成り立つのかと気になってしまう。土産物屋はまだしも、飲食店は食材があるから大変だろう。
閑古鳥の鳴いている飲食店で腹を下した試しは無いので、悪い食材を提供している訳ではなさそうだが。

今はちょうど紅葉前のオフシーズンだからか、飲食店はいつ行ってもガラガラだ。そもそも、開いているのに営業していないことも多い。(訳がわからないと思うが)
店に入ってホールスタッフから、「ごめん、今日はシェフがいないから何も提供できない」と言われたことが何度かある。ではなぜホールスタッフがいるのかは不明だ。

水やスナックを買いに商店に行くと、どの店でも商品に埃が被っている。砂っぽい土地のせいもあるが、それにしても頻繁に売れているとは思えない。
それに商品を選ぶ時間よりも、店主との雑談の方が圧倒的に長い。他の客がきてもお構いなしで話し続ける。

日本的な商売感覚からすると驚かされることの連続だが、この緩さと人懐っこさがすこぶる気に入っている。

フンザは山岳地帯なので、天気が良くないとなかなか観光できない。でもフンザでは観光せずとも、お茶でも飲んで、その辺で出会った人と喋っていれば、ああパキスタン的休日を過ごしているなぁという気分になれる。


以上が、筋肉痛で1日中何もしなかった男の言い訳である。

第4章 ミルクティーでは物足りない

日常では、夜遅くまでダラダラと起き、朝は自分と戦いながら渋々起きる、完全な夜型生活を送っている。0時が近づくと自然と眠くなる人が羨ましい。が、そんな僕も旅先では不思議と朝方になる。
今朝は8時から朝食を求め町に繰り出したが、どこの飲食店も閉まっている。心なしかこの国は夜型な気がする。
やっと探し当てた飲食店が、「Touris Cottage Hunza」というホテルの食堂だ。

店主は僕の顔を見るや否や「日本人ですか?」と日本語で聞いた。彼はいくつかの日本語を知っており、簡単な日本語で注文を進めた。
オムレツとパンと、ミルクティー
僕はマサラチャイを要求したが、マサラチャイは無いとのこと。オーソドックスな紅茶と牛乳のミルクティーになった。朝から景気付けにスパイスを感じたいと思った僕にとっては少々物足りなかった。
オムレツにはハラペーニョが入っており、こっちは辛い。美味しくて一瞬で食べ切ってしまった。

店主は特に日本語を勉強した訳ではなく、宿泊客から教わった単語を覚えているだけらしい。彼曰く2000年以前はすごく多くの日本人がフンザを訪れていたが、そのあたりから世界が変わり、パキスタンを訪れる日本人は激減。近年はまた回復傾向だったが、コロナや円安でまた激減したらしい。
あれこれ話しながら、ミルクティーを飲み干した。

そもそも、僕は何を求めて旅に出ているのだろうかと考えた。
非日常≒刺激を求めているのか。刺激を求めているとしたら、刺激に慣れてしまったがために僕はここまで来ているのか。そうとすると、僕は刺激を上げ続けるしか無いのか。
優しいミルクティーはそんな疑問を想起させた。

さて、今日は谷底に降りるつもりだ。店主曰くガニッシュという村がおすすめらしい。僕は谷を降りてガニッシュを目指した。
村が近付くに連れ、すれ違う人の雰囲気が変わってきた。男性は洋装の人が減り、シャルワール・カミース、ベスト、帽子という伝統的な服装の人がほとんど。女性は鮮やかな伝統衣装にスカーフ、大きな竹籠を背負っている人もいた。隣の村でもここまで雰囲気が変わるのか。
そして英語を流暢に話す5,6歳の少年に案内してもらい、フンザ川までたどり着いた。
フンザ川は灰色の無機質な岩山を割って流れる激流だが、その色は鮮やかなターコイズブルー。砂の中から宝石を見つけ出したような気分がした。(そんな経験は無いが)

のどかな並木道を歩き、僕はカリマバードへの帰路に着いた。
帰りは当然上り坂で、日も高く暑い。今日はエアリズムで大正解だ。とは言え、へとへとになりながらカリマバードに着き、宿に戻る前にどこかで休憩したくなった。
こんなクソ暑いのに、僕は今朝の、あのミルクティーが飲みたくなった。

例の店主とは、たまたまその辺の道端で遭遇した。あの店で休みたい旨を伝えると、すぐ戻るからと店の鍵を渡してくれた。
勝手に店に入ると、なんだか祖父の家のような安心感を感じた。
そして店主は後から来てミルクティーを淹れてくれた。僕はその優しいミルクティーをちびちび飲みながら、長く居座ってしまった。



朝食



フンザ

第3章 桃源郷

フンザの町、カリマバードに着いた。
僕のとった宿は町の少し高台にある。宿の屋上からの景色はあまりに美しく、しばらく何もせず谷を眺めていた。

谷は一面に細長い木が立ち並び、淡い緑色をしている。その木々は生気を吸い取られたように弱々しいのに、高く真っ直ぐ伸びている。そのアンバランスさが重力の感覚を狂わせ、浮遊感に似た感覚を呼び起こす。
谷の両脇には茶色い岩壁が迫っている。
そして岩壁の向こうから巨人がこちらを覗き込むように、雪の積もった巨大な山頂がのっそりと見えている。
とても幻想的な風景だ。


僕は翌朝、片道2時間ほどの距離にある展望台へと歩いた。
坂道を登り始めてすぐに汗ばみはじめ、ついにはヒートテック1枚になって歩いた。
僕はそもそも普段肌着にヒートテックかエアリズムしか着ないから、今回もその2者しか選択肢がなかった。が、完全に選択ミスをした。
自分のミスを悔いながら歩いていると、程なく後ろから来た1台の車が停まり、「展望台まで行くのか?乗っていくか?」と言ってくれた。
ありがたい。僕は彼の車に飛び乗った。
汗が引くのと同時に車は展望台に着き、彼に礼を言って別れた。開始早々、親切な人に出会えたものだ。

展望台の眺めは素晴らしかった。僕は崖のへりに座り、麓から持ってきたポテトチップスを食べた。
このあたりの地形は大きなU字の谷になっており、谷底に平野が形成されている。その平野の中央にさらに小さなV字の谷が走っており、川が流れている。前者の谷は大昔に氷河が侵食したものだろう。

風が気持ちよくて1時間ほど眺めていたが、日が高くなる前に帰路に着いた。
この辺りにはだだっ広い草原に民家がポツポツとあり、伝統的な暮らしをしている。ヤギや牛の鳴き声が聞こえ、すれ違う人は鮮やかな衣装を着ている。
のどかだ。
途中、旅行客向けに生搾りフルーツジュースを売っている民家があり、そこで杏のジュースを飲んだ。
杏はフンザの名産品で、長寿の秘訣とも言われている。クセのないプルーンのような味がして、濃厚で美味しい。

牧歌的な農村地帯を再び歩き始めると、1台のバイクが停まり、「町に行くけど乗って行くかい?」と言ってくれた。もちろん飛び乗った。
カリマバードに着てまだ2日目だが、優しい人に沢山出会った。ここには書ききれないが。

人も景色も食べ物も素晴らしいが、1つ難点がある。意外だが、空気が良くない。
憶測だが、標高が高く空気が薄い割にディーゼルカーが沢山走っているからだと思う。またこの一帯は水力発電で電力を賄っているらしく、よく停電する。停電に備えジェネレーターを多用しているのも空気が悪い要因の1つかもしれない。
空気の悪さもパキスタンの特徴と思えば、それも1種の旅情と言えなくもないが。



展望台からの眺め

第2章 山路

西遊記三蔵法師のモデルになった玄奘三蔵は、唐の長安を出発し険しい山々や砂漠を越え、遥か西の天竺に到達。仏教の経典を入手し、また唐に帰った。そのルートは現在の中国、キルギスウズベキスタンアフガニスタンパキスタン、そして最終地のインド言われている。
この頃のパキスタン北西部にはガンダーラという王国が存在し、仏教が信仰されていた。
それから千数百年を経て、当時の様子は見る影もないかもしれないが、この旅のどこかで玄奘三蔵と同じ地を踏むだろうか。


本題に戻る。
長年の念願だったフンザに向かうため、乗合タクシーに乗り込んだ。
出発時刻は19時。これから夜通しかけて山路を走り、朝に目的地に着く予定だ。

僕は後部座席窓側に乗るよう指示され、あとから後部座席に2人乗ってきた。
狭い。後部座席に3人で夜通しの移動だ。行く末に不安しかない。
ただ、運転手も同乗者もいい奴そうだ。
車が信号待ちで止まった瞬間、同乗者の1人が突然車から飛び出し、露天でビリヤニを買って戻った。それを車内でみんなで分けて食べた。ビリヤニを食べながら、僕の不安や警戒心は徐々に解けていった。

車は山路を登りに登った。
無限に続く急カーブ、段差を乗り越える衝撃、爆音のBGMに晒された。腰は砕け散り、臓器は上下逆転した気分がしたが、僕はただひたすらに耐え凌いだ。
深夜3時頃、やがて峠に差しかかった。寒さに凍え、酸欠で目の前がにわかに霞み、全身の血の気が引いた。

苦行をただ無心にやり過ごす。怒りも不安もなく、心穏やかだ。なんだか悟りが開けそうな気がしてきたが、霞んだ視界の先にはただ現実が広がっていた。


車が峠を越えると、空がうっすら白くなり、山の輪郭が見えだした。道の両脇は相当険しい山に挟まれているようだ。
さらに明るくなり、道のすぐ脇は崖で、崖の下は荒々しい川が流れているのが見えた。

日が完全に昇った頃、僕たちは目的地手前にさしかかり、小さな食堂で朝食をとった。
クレープのようなパンと、マサラチャイ。
朝日に照らされた山々を見ながらチャイを一口すすると、ぐちゃぐちゃになっていた臓器がすぐ元の形に戻った。僕はむさぼるようにチャイをすすり続けた。

この国では、事あるごとにチャイをご馳走してくれる。どの1杯にも、長旅をねぎらう気持ちが込められているように感じた。「チャイ飲むか?」という彼らの表情がとても優しいのだ。

どの1杯も忘れがたいが、今朝、過酷な山路の末に飲んだこの1杯のマサラチャイは特別、僕は生涯忘れることはできないだろう。
(実際には2杯飲んだ。我慢できずに図々しくおかわりしてしまった。)