数日前、パスー氷河(第6章)に行く道中で伝統的な村の暮らしを見た。その光景が今でも目に焼き付いて離れない。
保守的なイスラム教の女性は写真に撮られるのを嫌うと聞いたので、村の様子を写真に残さなかった。が、あの少し現実離れした光景が、少年期の記憶のようにセピアがかってはっきりと思い出される。
あの光景をもう一度見たい。
僕は再訪することにした。僕は、こう一度気になってしまうと行動せずにはいられない体質なのだ。あの村を自分の足で歩かなければ気が済まない。
僕は早く起きて宿を出た。
谷を降りると川沿いに細い道がある。これがあの村への1本道だ。
道のすぐ傍には切り立った崖があり、時折サラサラと音を立てて崖の上から小石が落ちてくる。上を見ると、樽ぐらいの大きさの岩がいくつも剥き出しになっており、それらが落ちてこないことを切に願いながら歩いた。
川原に数組の老夫婦がしゃがみ込んでいるのを見た。目が合ったので話しかけると、砂金取りらしい。川原の砂をトレイに薄く広げると、キラキラ輝くものが見える。老夫は、胸ポケットから米粒大の金の塊を取り出し、自慢気に僕に見せてくれた。
そうこうしているうちに日差しが強くなって歩くのがしんどくなり、僕はヒッチハイクを試みた。定期的に車は通過するが、満員の車ばかりでなかなか乗せてもらえない。しばらくして2人乗りのバイクが来て、乗せてもらえることになった。初めての3人乗りだ。
150cc程のバイクに男3人が乗っているので、バイクはけたたましい音を立てながら登坂した。
足の置き場がわからないまま目的地に着いた。このあたりは「Nagar Khas」と言うらしい。僕はバイクの2人にお礼を言い別れた。
僕が降りた場所は、この一本道の中で最も栄えている。といっても雑貨店と飲食店が十数軒あるだけだが。とりあえず1番近くの食堂に入った。
その店では、チャプシュロという、餃子のタネをピザ生地で包み込んだような伝統料理を食べた。中に牛肉がゴロゴロ入っていて美味しい。食べ終わる頃には、中から漏れ出た汁で手がベトベトになった。肉や野菜の旨みが凝縮した美味い汁だったので、こぼれてしまったことがとても残念だった。
さて、僕はこの一本道を下りながら散策を始めた。先日バイクで通った際はジロリといぶかしむような視線に感じたが、歩いているとにこやかな視線で目が合う。
学校帰りの低学年ぐらいの子供達の集団と出会した。彼らは立ち止まり、黙って僕を見つめた。彼らの目は丸々として大きく、青い瞳をしていた。女の子達は制服なのかヒジャブで髪をすっぽりと覆っていたが、体に対してヒジャブが大きく見え、そのアンバランスさがいっそう愛らしく思わせた。
このあたりの集落では、農業が盛んに行われているようだった。畑では、ヴェールを頭部に巻いた女性達が農具を持って作業していた。黒い畑に、赤や青の色鮮やかな衣装。初めて見る組み合わせだが、不思議と調和していた。
少年は木の枝で牛を追いながら、ペットボトルをホッケーのように転がして遊んでいる。
人の活動や動物の鳴き声を感じながらも、不思議と美術館で西洋絵画を見ているような(ミレーが近いだろうか)気分になった。
遠くにアザーンが聞こえ、ここが西洋ではなく敬虔なシーア派の地域であることを知る。
幻想的な風景に時間感覚を失いかけていた。
暗くなると危ないので、僕は前に足早にカリマバードへ帰り、宿の屋上から日の入りを眺めた。
Nagar Khasに続く1本道