第3章 桃源郷

フンザの町、カリマバードに着いた。
僕のとった宿は町の少し高台にある。宿の屋上からの景色はあまりに美しく、しばらく何もせず谷を眺めていた。

谷は一面に細長い木が立ち並び、淡い緑色をしている。その木々は生気を吸い取られたように弱々しいのに、高く真っ直ぐ伸びている。そのアンバランスさが重力の感覚を狂わせ、浮遊感に似た感覚を呼び起こす。
谷の両脇には茶色い岩壁が迫っている。
そして岩壁の向こうから巨人がこちらを覗き込むように、雪の積もった巨大な山頂がのっそりと見えている。
とても幻想的な風景だ。


僕は翌朝、片道2時間ほどの距離にある展望台へと歩いた。
坂道を登り始めてすぐに汗ばみはじめ、ついにはヒートテック1枚になって歩いた。
僕はそもそも普段肌着にヒートテックかエアリズムしか着ないから、今回もその2者しか選択肢がなかった。が、完全に選択ミスをした。
自分のミスを悔いながら歩いていると、程なく後ろから来た1台の車が停まり、「展望台まで行くのか?乗っていくか?」と言ってくれた。
ありがたい。僕は彼の車に飛び乗った。
汗が引くのと同時に車は展望台に着き、彼に礼を言って別れた。開始早々、親切な人に出会えたものだ。

展望台の眺めは素晴らしかった。僕は崖のへりに座り、麓から持ってきたポテトチップスを食べた。
このあたりの地形は大きなU字の谷になっており、谷底に平野が形成されている。その平野の中央にさらに小さなV字の谷が走っており、川が流れている。前者の谷は大昔に氷河が侵食したものだろう。

風が気持ちよくて1時間ほど眺めていたが、日が高くなる前に帰路に着いた。
この辺りにはだだっ広い草原に民家がポツポツとあり、伝統的な暮らしをしている。ヤギや牛の鳴き声が聞こえ、すれ違う人は鮮やかな衣装を着ている。
のどかだ。
途中、旅行客向けに生搾りフルーツジュースを売っている民家があり、そこで杏のジュースを飲んだ。
杏はフンザの名産品で、長寿の秘訣とも言われている。クセのないプルーンのような味がして、濃厚で美味しい。

牧歌的な農村地帯を再び歩き始めると、1台のバイクが停まり、「町に行くけど乗って行くかい?」と言ってくれた。もちろん飛び乗った。
カリマバードに着てまだ2日目だが、優しい人に沢山出会った。ここには書ききれないが。

人も景色も食べ物も素晴らしいが、1つ難点がある。意外だが、空気が良くない。
憶測だが、標高が高く空気が薄い割にディーゼルカーが沢山走っているからだと思う。またこの一帯は水力発電で電力を賄っているらしく、よく停電する。停電に備えジェネレーターを多用しているのも空気が悪い要因の1つかもしれない。
空気の悪さもパキスタンの特徴と思えば、それも1種の旅情と言えなくもないが。



展望台からの眺め